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「信越五岳」と「信越土木」 石川弘樹さんがプロデュースする日本屈指のトレイルレースの舞台裏

妙高店

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トレイルの草を刈る

毎年9月下旬に、新潟県と長野県にまたがる妙高・斑尾の両高原を舞台に開催される「信越五岳トレイルランニングレース」(以下:信越五岳)。日本にトレイルランニングカルチャーを紹介したパイオニア、プロトレイルランナーの石川弘樹さんがプロデュースする日本屈指のトレイルレースが今年で16回目を迎えます。

日本のロングトレイルの草分けともいえる「信越トレイル」と、2021年に全面開通した比較的新しい「あまとみトレイル」が交差し、四季折々の表情を見せるこのエリアは、天候に恵まれれば極上のトレイルを心ゆくまで堪能することができます。

STRIDE(ストライド)のスタッフも、公式/非公式に、大会の運営と密接に関わってきました。長らく運営サポートに関わる東京本店のスタッフもいれば、100マイル(160km)の90km地点付近にある池の平エイドでは、ストライドラボ妙高店のスタッフが待機し、選手たちを迎え、補給のサポートに入ります。

多くのボランティアに支えられ、これまで続けられてきた信越五岳。なかでもコース整備は、作業エリアが広範囲にわたるため、地元や、馴染みのボランティアスタッフだけではなく、全国各地から人が集まる参加型のプロジェクトとなっています。

今年の大会まで2ヶ月を切った8月初週。ストライドラボ東京本店・妙高店・多摩店のスタッフや、東京・立川市のトレイルランニングショップ「Trippers」(トリッパーズ)さんが参加し、100マイルコースの草刈りが行われました。赤倉スキー場にほど近い白田切川に沿った道など、3班に分かれて、黙々と草を取り除いていくと、本番仕様の道が少しずつ姿を現してきました。

トレイル率が約9割、また急な上り下りが少ないことから「走れる」トレイルとして定評がある110kmと100マイルの旅は、そのロードセクションの少なさゆえにコースのメンテナンスがランナーたちのモチベーションを大きく左右します。

そんな信越五岳の屋台骨といってもよいローカルボランティアチームがあります。

信越土木を支えるひと

「最初は、『信越土建』という名前にしようと思っていたんだけど、同じ名前で会社としてやってるところがあって、じゃあ『土木』でいこうと」(石川さん)

2018年に正式に発足し、信越五岳の運営に欠かせない存在となっている地元のボランティアチームが「信越土木」です。名前に“土木”と入っているとおり、妙高・斑尾一帯に広がるレースコース全体のメンテナンスを担っています。活動開始から増え続け、今では130人ほどのアクティブなメンバーがいるといいます。大会が公式に募るコース整備ボランティアもあり、今回、わたしたちが参加させていただいたように、石川さんのつながりからトレイル仲間が県外から駆けつけてコース整備を行うこともありますが、継続的に信越土木に参加するメンバーが、大部分の整備を行っています。

「大会前に試走に来た人が、大会当日のトレイルとの違いに驚くことがあります。こんなに見違えるものなんですね、と」と石川さん。

大会のコースは、上述の信越トレイルやあまとみトレイルの一部になっているところもあれば、そうではないところもあります。場所によっては信越五岳が作ったトレイルがロングトレイルのコースの一部になっている部分もあります。前者は、普段からハイカーや登山者が歩く道のため、コース整備でありながらも、大会に向けた作業にとどまらない公共的な作業でもあります。逆に後者では、大会を終えると、綺麗に整備されたコースが嘘のように、あっという間に草木に覆われてしまう。普段は人の通り道ではないので、逐次草刈りをしてもまたすぐに生い茂って効率が良くないため、大会が近づいた夏まっさかりの時期に一気に整備を行うというわけです。信越土木は、コース整備活動を通じて、地域にとっても大切な役割を果たしています。

「レースコースでも、もちろん地権者がいたり、国有林だったりします。ちゃんと申請をして、階段や木道を直したり、滑りやすかったり、埋まりやすかったりするところを整備したり。ボランティアではあるけれど、穴を開けたり、杭をうったり、ボルトを巻いたりといった作業をするときには専門的なスキルが必要です。自宅の庭じゃなくて公共の場所だから、そこを通る人の安全を第一に考えないといけない」(石川さん)

そういった作業に取り掛かるときに、石川さんら、信越土木のメンバーが信頼を寄せるのが岡田耕作さんです。

トレイルランナーでもある耕作さん。2014年から山を走り始めて、2018年、まさに信越土木が組織されたのと同時期に信越五岳に出場しました。もともとはコース整備に参加する代わりに、大会への優先エントリー権が与えられる枠を通じてボランティアに参加したことがきっかけでしたが、電気工事技師として長らく勤めるなかで培った土木スキルをトレイル整備に生かすことが楽しく、いつしか“常連”に。石川さんからのスカウトもあり、今では“土木”にとってなくてはならない存在となりました。

耕作さんは大会本番では班長を務め、当日の運営サポートにも入ります。

「自分の技術が役立ったのもあるけど、やっぱり、いろいろな人がいて楽しいコミュニティだな、と思ったのが参加し続けるきっかけですね」(耕作さん)

橋を架ける

信越土木として広範囲にわたるコース整備を行うなかで、印象に残る作業も多くあります。協力者が増え、チームの規模が大きくなっていくにつれて、手掛ける作業のレベルも上がっていき、一昨年ころから、トレイルに構造物を設置する仕事も行うようになってきたといいます。

「たとえば、橋を付け替える作業ですね」

と石川さんが錆びついた金属のプレートを机に置きました。「昭和25年」と書いてあります。

「去年、トレイル上にある橋の付け替えを僕らでさせていただくことになって。耕作さんに相談したら、『使っていない木の電柱があるから橋になるんじゃないか』といって」

当時、耕作さんの勤め先の電気工事で撤去した、全長14メートルほどの木製の電柱が、まだ処分されずに保管されていたのでした。橋を架けるのに必要な長さは約5メートル。2分割して調整すればちょうど良い長さでした。

「弘樹さんがうちの会社の資材置き場まで来てくれて、(使わせてほしいと)頼み込んで。めちゃくちゃ重たかったから、結構な人数で運んでいきましたよ」(耕作さん)

石川さんが振り返ります。

「確かに昔、木の電柱ってあったなって。昭和25年に設置された電柱で、太さからするとたぶん伐採された時点で樹齢4〜50年くらい。だから今から100年以上前の木なんですよね。でも、太い幹の芯近くまで防腐剤を染み込ませてあって、耐久性がすごいんですよ」

橋へと生まれ変わった電柱は、信越五岳のコースや、「あまとみトレイル」の一部でもある戸隠エリアの、大橋林道から牧場へとはいっていく地点に架けられ、道行く人やランナーを見送っています。

道をつくる

信越五岳の構想が立ち上がった2009年当時、日本では「トレイルランニング」というカルチャーは今ほど浸透しておらず、国内に100マイルのレースはまだ存在していませんでした。

「それでも、信越五岳を100マイルレースにしたいというのが設立時からの目標でした。当初は日本に100マイルの大会すらなくて、『OSJおんたけ100』(100km)が2008年にようやくできたころ。100マイルのレースをいきなり開催しても、誰が完走できるの?と思ったんです。この素晴らしいトレイルを、できるだけ長く楽しんで欲しいと思っていたので、まず110km一本で大会運営をしながら、100マイルのコースを敷く準備をしていきました」

そもそも、神奈川県出身の石川さんがこの信越・斑尾エリアと関わるようになったのは、信越トレイルが部分的に開通した頃に走りにきたことがきっかけでした。斑尾エリアでトレッキングカルチャーを醸成するプロジェクトの視察も兼ねていましたが、当時はまだ40kmほどだったトレイルを、ハイカーであれば1泊2日から2泊3日で歩いていたところを、石川さんたちは半日で走りきってしまいました。ハイキングとトレラン。スピード感が違うのはもちろんですが、当時、地元の観光協会から「なんだこの人たちは…」という視線を感じたと、石川さんは苦笑しながら振り返ります。

それでも、トレイルランイベントや、2005年にアパラチアン・トレイル(AT)3500kmを踏破し、帰国後「信越トレイル」にその構想から携わった故・加藤則芳さん(※)によるワークショップなどをイベント内で実施するなかで、信頼関係を作っていきました。

信越五岳の構想に直接つながる出来事も、この頃でした。ローカルコミュニティとの関係が深まるなかで2007年に開催に至った「斑尾高原トレイルランニングレース(斑尾フォレストトレイルズ)」のために、頻繁に信越・斑尾に足を運ぶようになった石川さんは、ある時「北信五岳」について知ることになります。

信越・斑尾エリアには、妙高山、斑尾山、黒姫山、戸隠山、飯綱山の5つの山が鎮座しており、これらを総称して「北信五岳」と呼ばれています。

「この5つの山を一筆書きでつなげられるぞ、と。それで道探しを始めて、全行程を走ってみたら、これなら長いコースがとれる、という手応えがあったんです」

出会った当初はやや距離のあった斑尾観光協会の会長と妙高市長を訪問して、レースの構想についてプレゼンをするまで、それほど時間はかかりませんでした。

「大きな地図を広げて、こんなコース、これまでの日本には無かった魅力的な大会ができるんですよ、と。それまで斑尾の大会にも来て頂いていたから、市長もその魅力をすぐに理解してくれて、もうその場で、やろう、という感じになった。それが、信越五岳のスタートなんですよ」

道をつなぐ

信越五岳で実施される2つの距離のうち、110kmは基本的に既存のハイキングコースを使用しますが、2017年に新設された100マイルは、コースにしたい場所を繋げるために新たに道をつくったり、廃れた昔の道を掘り起こしたりする必要がありました。コースがおおよそ定まってからは、それを保全することも信越土木の役割です。

石川さんを中心とした大会の運営スタッフが地図を確認し、等高線を見ながら、道になりそうな場所や、道がありそうな場所を割り出して実際に現地まで行ってみる。藪漕ぎをしながら進むと、おぼろげながら過去に使われていた道の痕跡が姿を現す、そんな作業を積み重ねて、100マイルのルートは出来上がっていったのでした。

「あとは、トラブルというか、想定外のことも起こります」

石川さんが振り返るのは、100マイルの中間地点付近にあたる大鹿エリアのエピソードです。近年、イノシシをはじめとした動物が田畑を荒らしてしまうことが頻発し、獣害防止の電柵が張り巡らされました。大会のコースでもありましたが、夜間走行パートになるため電柵の開閉を細かく管理することは無理があり、急遽迂回路を模索することになったといいます。

一度舗装路に出てしまえば迂回できそうでしたが、それだと面白みがない。そう思って地図とにらめっこすると、別の方角に尾根がありました。

「ここに迂回路を作りたい」

そう思った石川さんは、地権者を確認するために法務局に行ったり、古い地図を確認したりしながら、道を切り開く準備をしていきました。しかし、一箇所だけ、いくら調べても地権者を割り出せない場所がありました。

「どうしたものかと思っていたら、別の場所の地権者さんに許可申請をしにいった時にその方が『あそこは昔火葬場だった』というんです。言われてみれば、たしかに周囲と比べると違った雰囲気の空間がポッとできているような感じでした。それはいけない、ということで、作った迂回路をその旧火葬場だけさらに迂回するように道を作っていきました」

その尾根は、信越土木が作業に入ったときは道などなく、「ザ・藪」。こういった切り開く作業には10〜15名ほどの隊列を組みます。あらかじめルートのマーキングをした場所を、まずチェーンソーで木を倒し、人が入れる道すじを作ります。その後さらに再び別のチェーンソーで広げ、それを退ける人、それから刈り払い機で草を刈り、熊手でそれらを脇に寄せます。さらにその後ろから再び刈り払い機、熊手という順番に作業を進めていくと今まで道など無かった場所に1本のコースが出来上がります。

「実際に走ってみるとわかりますが、道がなかったと言われるまではわからないくらい、今ではしっかり道になっていますよ」(石川さん)

この他にも、自然を相手にするスポーツでもあり、公共のハイキングコースも通過することから、トレイルの保全や安全面から、コースをマイナーチェンジすることもしばしばあるといいます。

「その都度、みんなでなんとか代替ルートを探しあててきました。その背景にはあらゆる作業に参加してくれる地元をはじめ、トレイルや地域に対する思いやりや愛情がある方々が集まってくださるからです」と石川さんは言います。

ルートは今にいたるまでつながり続けてきました。それは、日本屈指のトレイルランニングレースとなった信越五岳を運営する大会本部や、信越土木の努力の賜物であり、それ以上に、この信越・斑尾に広がる山々の懐の深さとも言えるかもしれません。

※_加藤則芳|日本におけるロングトレイルの第一人者として、信越トレイルやみちのく潮風トレイルなど日本のロングトレイルの普及に貢献した。著書に『森の聖者 −自然保護の父ジョン・ミューア』、『ジョン・ミューア・トレイルを行く −バックパッキング340キロ』、『メインの森をめざして −アパラチアン・トレイル3500キロを歩く』、『ロングトレイルという冒険』など。2013年没。

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