2026.02.25
文化史からみる日本人と靴
STRIDE LABの各店舗では、ドイツ発のGroundiesやBlusun、チェコのSkinnersといったブランドのフォーマル/カジュアルどちらのシーンにも合わせやすいベアフットシューズも取り扱っています。AltraやNotaceといったロードラン/トレイルランシューズと装いは異なるものの、ゼロドロップ、フットシェイプというコンセプトは同じ。休日の外出や通勤にも馴染むスタイルで、日常履きにもフットヘルスを意識した靴選びをして頂きたいという思いが込められています。
ところで、そもそも、日本人が革靴を履き始めたのはいつ頃なのでしょうか? 導入期は幕末から明治の頃で、大衆化したのは戦後だという説が有力です。欧州の革靴文化は中世にまで遡るといいますが、最初にあげた3つのシューズメーカーはいずれもその欧州で生まれ、古いものでも2014年誕生とまだ歴史が浅い。つまり伝統的なカジュアル/フォーマルシューズの形態が見直され、フットヘルスが意識され始めたのはいたって最近のことなのです。

朝の通勤ラッシュに揉まれながら周囲の乗客の足元をみてみると、スーツやスマートカジュアルの男性が履くシューズが目に飛び込んできます。先が細く、踵が高いスマートな形状のあの革靴。今では無数の日本人が当たり前のように履いている革靴ですが、ふとこんな疑問が浮かびます。日本人はいつ「革靴」に出会ったのだろうか、と。江戸時代の大半は鎖国をしていたので、西洋の靴がまとまって入ってくるようになったのは明治以降だろうと推測することはできそうです。
日本人と「靴」の出会いと付き合いについて書かれた二冊の本があります。『西洋靴事始め 日本人と靴の出会い』(稲川實/現代書館)と『靴づくりの文化史 日本の靴と職人』(稲川實、山本芳美/現代書館)です。著者の稲川氏(2024年3月逝去)は靴の歴史を研究しながら自らも靴業を営んでいた人で、生前は皮革産業資料館の副館長も務めていました。
『靴づくりの文化史』によれば、幕末頃から西洋の靴が日本のごく一部の人々に履かれはじめ、次第に軍の制服などにも導入されていきましたが、それ以前は、裸足や、はきものとしては下駄、草履、雪駄が大衆的な日本人の足の装いでした。諸説あるかもしれませんが、革靴が大衆化したのは、戦後の昭和30年代頃からと言われています。それからおよそ70年ほどしかたっていません。
『西洋靴事始め』の冒頭にこんな文章があります。
“……こんな話を聞いたことがある。「江戸時代の人たちは、異人の履いている踵(かかと)のある靴を見て、自分たちのように開放的な下駄や草履が履けないのは、彼らの足に踵がないからだと本気で信じていた」というのである……”
なぜ、あんなに踵のあがった靴を履いているんだろう。ひょっとして踵がないから靴で底上げしているのではーー。西洋人や革靴という新しい存在に触れた幕末から明治初期の人々の驚きと強い先入観が入り混じったようすが伝わってくるエピソードながら、「靴のかかとの有無」や「開放的な下駄や草履」といった表現は、オーソドックスなシューズと、新しい選択肢としてのベアフットシューズが存在する現代の様子を予見しているようにも思えます。
『靴づくりの文化史』のもうひとりの著者、山本芳美氏は、イレズミや首の伸長など人間の身体を加工する古来からの風習について研究する「身体変工」という分野の研究者です。人間の身体を物理的に加工する行為についての研究があること自体が興味深いですが、そうした分野の研究者が靴の歴史に関心を抱くのは、靴を履くという行為が、人体に少なからぬ影響を及ぼしたということを物語っています。
本書の冒頭で山本氏は言います。
“身体変工研究の視点からみると、私たちは自然のままの足を愛せないらしい。靴は現代の身体変工の道具としての側面があり、外反母趾や内反母趾、巻き爪、ハンマートゥなどの諸病の一因である。足に変形をもたらす可能性があるとわかっているのに、なぜ、私たちは足に合わない靴をはき続けるのだろうか。それは、小さな足を人工的に生み出す纏足やガラスの靴が登場するシンデレラ物語が古来より人々をなぜ魅了し続けたのか、という問いにもつながる”
人がなぜ靴を履くのか、どう履くのか、という問いの裏には、人間の足にまつわる文化的、社会的な要素が絡み合っています。詳しくは本書を読んでいただくとして、目を引かれるのは「なぜ、私たちは足に合わない靴をはき続けるのだろうか」という点です。
読み進めていくと、実際、明治に入って日本に革靴が上陸し、軍などに採用されていくなかで、最も問題になったのが靴擦れだったそうです。ある演習では、連隊の半数の兵士が、靴擦れのため「草履を履きたい」と申し出たといいます。それまでは素足や開放的なはきもので生活していたところに、急に窮屈で、踵がついた革靴を履くことになったわけです。足が悲鳴を上げるのも無理はありません。当時、靴は文字通り「窮屈袋」とか「きう靴」とか呼ばれることもあったようです。ふたつめの呼び名にいたってはもはや駄洒落ですが、それだけ当時の人々にとって靴は「履きたくない代物」だったのです。
老若男女、それでも日本人が足に合わない革靴を履き続けた背景には、抗いがたい西洋化の流れや、集団としての規律、時代を経て変化・成熟していったファッションのトレンドといった文化的な側面が大きく影響していることでしょう。また、革靴の基本的な形状自体は現在に至るまで大きく変わっていないように見えても、履き心地を追求する技術や素材の進歩で、単純に履きやすくなったことは言うまでもありません。
草履や下駄を履く人なんてほとんどいない現代。原点に還ろうなどと堅苦しいことは抜きにして、人と靴の文化史について資料をとおして知ることは、面白い気づきを与えてくれそうです。
とはいえ、西洋から入ってきた(革)靴文化、そこから少しだけ“原点”回帰と言わんばかりの新しい靴が入ってきたのも、また西洋からでした。次は、そんなことを深堀りしていきたいと思っています。
STRIDE LAB 吉田
参照)
稲川實.西洋靴事始め 日本人と靴の出会い.現代書館, 2013,222p.
稲川實, 山本芳美.靴づくりの文化史 日本の靴と職人, 現代書館,2011,245p.
